《社会》[ 688 ]2003年 7月 28日
佐藤 秀樹 氏[セガ会長] 社長退任、破談の引責ではない
提供:日経ビジネス
5月連休明けにサミーやナムコとの統合・合併案が相次いで破談となった。
佐藤氏は一連の騒動後に社長を退任したが、引責辞任の見方は否定する。
提携計画の頓挫と社長交代の顛末について、初めて重い口を開いた。
5月8日午前、2月に公表したサミーとの事業統合を中止することを決定しました。同日午後、ナムコが、同社が4月に申し入れてきた合併提案を一方的に撤回。セガは同19日、取締役会を開いて経営体制の刷新を決議し、私は6月27日付で社長を退いて代表権のない取締役会長に就任しました。
今回の社長退任について、サミーやナムコとの統合・合併案の破談を受けての引責辞任との見方も出ているようですが、それは違います。計画が白紙に戻ったとはいえ、セガという会社を安売りしなかったことで企業価値の棄損を避けられたわけですから、私自身は最終的に正しい判断を下したと考えています。事実、このところ株価も上昇基調にあります。ただ、株主の方々には、一連の問題でご心配とご迷惑をおかけしたと反省しており、それについては株主総会でもお詫びしました。
最終責任者が不明確だった
経営体制を刷新したのは、経営の監督と執行の区分を明確にする狙いがあったからです。従前は執行役員制度を取りながらも、経営を監督する立場の取締役が業務の執行にも携わっていたため混乱も生じた。取締役制度と執行役員制度を本来の姿に戻す必要があると考えたわけです。
権限と責任の所在を明確にする狙いもありました。従前は私も含め代表権者が3人もいて、さらにCOO(最高執行責任者)やCFO(最高財務責任者)という肩書を持つ人もいた。外から見ると、誰が最終的な権限と責任を持っているのか分かりにくかったと思います。新体制では、新社長の小口久雄だけが代表権を持つ形にして、COOなど横文字の役職を廃止しました。
経営体制の刷新を決断したのは、業績改善が大きかった。2003年3月期の連結決算では、営業損益、経常損益、最終損益がすべて黒字になりました。実に6期ぶりのことです。有利子負債の削減も進み、財務体質も健全になった。これまでのネガティブ・スパイラル(悪循環)から脱し、ポジティブ・スパイラル(好循環)の緒についた。さらにアクセラレーション(加速)するためには、経営体制の刷新と若返りが必要と判断したわけです。
今度社長に就いた小口は43歳です。新体制では唯一代表権を持つため、権限と責任が集中する。とても対外活動まで手が回らない。そこで、30年以上も業界に身を置き、幅広い人脈を持つ私が、代わってその役を務めることにしたんです。その際、平の取締役では体裁が良くないので、取締役会長という役職に就くことにしました。
新体制では青園さん(雅紘、CSK会長兼社長)の影響力が強まると言われていますが、強まる強まらないの問題ではありません。CSKは大株主としてセガの経営に参画しているわけですから、セガの企業価値を高めて株価を引き上げたいという考え方は従来通りです。彼はその辺、実に真剣です。
また今回、香山(哲、前代表取締役COO)の取締役就任を降格とか失脚とかというふうに見る向きもあるようですが、それも違います。取締役には代表取締役とただの取締役の2種類しかない。新体制では代表取締役は小口だけでいいわけですから、残りはただの取締役として業務執行の監督に徹する。単に、それだけのことです。
サミーが自社名存続を主張
そもそも、統合や合併は何のためにするのか。目的はあくまでセガの企業価値を高めることにあります。統合や合併という形態は、その手段の1つに過ぎない。ところが世の中では、ともすれば手段が目的化してしまうことがある。私はその愚を避けたかった。サミーとの統合についても検討を重ねた結果、セガの企業価値向上という目的達成に有効な手段ではないと判断したからこそ、潔く取りやめたんです。
その理由については、交渉事なので詳しい事情は話せません。ただ、業界の違いが予想以上に大きかった。ゲームメーカーのセガに対し、サミーはパチンコ・パチスロ機を製造する遊技機メーカーです。傍目には近い業態のように映るかもしれませんが、実際は業界用語も違えば会計の仕方も異なる。会計上の数字を見ても、分からないことがある。互いにやり取りしていると、時間がかかってしまう。
統合後の新会社の社名をどうするかという問題もありました。先方はサミーという名前を残したいと思っていたようです。しかし、我々としては「グローバルな総合アミューズメント企業への飛躍」を統合目的に据えていたので、セガというシンプルな社名に一本化した方がいいと考えました。
別に、プライドでこだわったわけではありません。おかげさまで、セガというブランドは消費者の間では世界的にエスタブリッシュ(確立)されています。新会社がグローバルに事業展開していくうえで、その優位性を有効に活用すべきだと考えたんです。
仮にサミーという名前がついて、「セガ・サミー」あるいは「サミー・セガ」となった場合、まるでセガが子会社になったように消費者に受け止められる。名前を残したい先方の気持ちも分かりますが、新会社が世界に羽ばたこうとする時に、企業価値の点から言って果たしてそれでいいのか。
では、なぜサミーとの統合を模索したのかと言いますと、当時は経営状況が厳しかったことが理由の1つに挙げられます。今年1月末から本格的に検討を始めたわけですが、その頃はタイトル(ゲームソフト)数が不足していたうえに、業績も下方修正せざるを得ない状況でした。経営基盤を盤石にして成長を持続するためには、統合が必要と考えたんです。私だけでなく取締役全員が、そう思っていました。
その際、サミーを統合相手に選んだのは、消費者から支持を得ているパチンコ・パチスロという大衆娯楽を得意とする企業と、ゲームというコンシューマービジネスを展開する企業が一緒になれば、総合アミューズメント企業として飛躍できると考えたからです。
もともとサミーとは仕事上のつき合いもありましたし、セガの社長を務めた大川さん(功、CSK元社長、2001年3月死去)も里見さん(治、サミー社長)を信頼して支援してきた経緯がある。大川さんは大衆娯楽という観点から両社を統合したらどのような効果が出るのかを常々考えていた、というふうにも聞いています。こうした関係を思えば、サミーが統合相手になるのは当然の成り行きと言えるでしょう。
ナムコと合併は実効性に疑問
一方、4月に合併提案を申し入れてきたナムコとも近い関係にあります。同じ業界に属しているのはもちろん、2001年9月に業務用ゲーム分野で包括業務提携をしたからです。この動きからすれば、ナムコが合併を提案するのは自然な流れのように見えるかもしれません。しかし私自身は、ナムコから提案を受けた時には正直、意外感がありました。
というのは、ナムコとの業務提携は現実には、ほとんど動いていないからです。物流関係で一瞬やったぐらいで、あとは手つかずの状態です。総論としては合意できるんですが、各論に踏み込むと様々な問題が出てくる。実効性が上がっているとは言えません。この2年近くの間に、先方もそのことを十分承知していると思ったんですがノ。
セガとナムコとの合併では、同じ業態であるがゆえにシナジー(相乗効果)ばかりに焦点が当たりがちですが、実はコンフリクト(競合)の部分をどう解決するかという問題の方が大きい。単純合算すれば、従業員数は約7500人、連結売上高は約3500億円。新会社がこれだけの規模を維持していくのは経営効率上、好ましくない。エフィシェンシー(効率性)を上げていくには、やはりメ血を流すモ必要がありますが、人なり事業なりを単純にバサバサ切ればいいというものでもない。
そもそもナムコが本当に合併を望むのであれば、なぜサミーとの統合発表後2カ月もたってから提案を申し入れてきたのでしょうか。しかも、我々に対して「2週間後に方向性を示して、3週間後に結論を出せ」と要望してきた。
先方は合併提案を公式に発表したわけですから、こちらとしても真摯に対応しなければならない。とても2〜3週間で結論を出せるような問題ではない。そこで、「拙速な回答はできません」と答えたところ、向こうは「それなら、もういい」と言って、一方的に提案を撤回したわけです。何か嵐がバーッと吹き抜けていった感じでした。今回のナムコの対応については遺憾に思います。
佐藤 秀樹(さとう・ひでき)氏
1950年11月北海道生まれ、52歳。71年東京都立工業短期大学卒業、セガ・エンタープライゼス(現セガ)入社。89年取締役、2000年副社長、2001年社長、今年6月27日付で会長に就任。開発畑が長く、2001年に撤退した家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」の開発を指揮した。
経営不在が招いた混乱の果てのメ両成敗モ
セガの迷走は筆頭株主であるCSKの動きなくしては語れない。すべてはCSK・セガグループの総帥、大川功氏が死去した2年前に始まった。
大川氏が亡くなった3日後の2001年3月19日。セガ取締役でCSK会長(当時)だった福島吉治氏がセガ生え抜きの副社長兼COOの佐藤秀樹氏をセガの後継社長に、と東京・日本橋の料亭で切り出したのが発端だ。大川氏は自分がリクルートから招いた香山哲特別顧問(同)の社長就任を望んでいたとされる。だが、福島氏は「佐藤社長をのまないなら自分は辞める」と迫った。
CSK・セガグループの次期総帥を目指していた福島氏から見ると、当時40歳の香山氏はまだ取締役でもなく、社長としては若すぎると映った。同時に、セガを直接統治するには、既にセガを実質指揮していた香山氏が相手ではやりにくい。「福島さんにはCEO(最高経営責任者)に近い形で助力してほしい」と言う佐藤氏を引き上げた方が、意向を反映しやすかった。
とはいえ、大川氏の遺志を全く無視するわけにもいかない。だからこそ、2001年6月の株主総会後は、CEOを置かないまま佐藤社長、香山COOら3人が代表権を持つという、奇妙な体制を取らざるを得なかった。ここまでが、いわば第1幕だ。
福島氏はグループ総帥への地位を固めたかに見えた。しかし、今度は福島氏が青園雅紘CSK社長とのCSK内部での権力闘争に敗れ、第2幕が始まる。青園氏がセガへの関与を強める中、香山氏が、セガ米国法人にいた青園氏の腹心をCSKに押し戻したことから、両者の間で確執が生じる。
青園氏も佐藤氏に接近。同時に大川氏に世話になった里見治サミー社長を、将来の社長含みでセガ取締役に送り込もうと画策する。だが2001年当時は、大川氏がセガにCSK株を譲ったためにセガがCSKの筆頭株主でもあり、セガの反対でこの案は流れた。
第3幕は2002年秋。香山氏のお膝元であるコンシューマー部門の業績が大幅に悪化し、青園氏が香山氏の責任を追及する。セガが同年冬にCSK株を手放したことも、青園氏を動きやすくした。実はナムコとの合併は香山氏を中心にセガ内部で以前から検討されていた。佐藤氏の話と食い違うが、同氏自身も今年1月、青園氏に構想を説明し拒否された。セガがナムコと合併すれば、中村雅哉ナムコ会長が影響力を持ち、香山氏にも実権が残る。そこで青園氏は2月にサミーとの統合と、里見氏の新社長就任を再び持ち出した。
ところが、サミーとの統合構想の発表と同時にセガ、サミーの株価は急落。青園氏はサミーとの統合計画の白紙撤回を容認し、ナムコとの合併も先延ばしにして、ナムコ側が痺れを切らして合併の申し入れを撤回した。こうした顛末の揚げ句、青園氏は6月末に香山氏をCOO職から解任、同時に佐藤社長も事実上更迭した、というのが一連の出来事だ。形のうえでは佐藤・香山のメ両成敗モだが、セガの経営体制は一層メCSK色モの濃いものになった。
結局、「誰がセガの最高責任者か明確ではなかった」(里見サミー社長)という経営不在は佐藤氏も認めている。CSKの介入がセガの求心力低下を招き、混乱に拍車をかけたが、本来は生え抜き社長の佐藤氏が路線を確立しなければいけなかったはずだ。引責辞任を否定する同氏だが、責任は免れない。
セガ迷走の舞台裏
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